そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

かごの中の瞳 All I See Is You

2016年

監督:マーク・フォースター

主演:ブレイク・ライヴリージーナ)ゴシップガール、ロスト・バケーション

   ジェイソン・クラーク(ジェイムズ)テッド2、ターミネーター新起動

スリラー、サスペンス

 

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一言で言ってしまうと、微妙でした。。

 

どうしても私は、夫の視点で妻ジーナを見てしまっていたので、ジーナの変化がどうにも見ていられず、辛い気持ちになりました。

 

この映画のジャンルはスリラー、サスペンス、ということなのですが、サスペンス要素はほとんどないと思いました。スリラー??スリラーと言えるほどハラハラしなかったよー(>_<)

 

とにかくそこまで見応えはなかったです。予告を見て結構期待してしまっていたのでかなりがっかりしちゃいました。

 


All I See Is You Trailer #1 (2017) | Movieclips Trailers

 

日本版の予告が見つけられなかったので字幕がなくて分かりづらいですが…。

この予告見ると、スリラー感溢れてますよね。でも実際見ると違ったんですよ。 

 

 

目が見えるようになった妻が化粧をしてきれいな服を着て、おめかしするようになり、他の男たちに色目使ってるように見えてしまって(実際は使ってないのに)嫉妬心が芽生えてしまう。そして、そこから優しかった夫がどんどん悪に染まって、妻を陥れ支配する、とかいう話の流れかなぁ?と思っていました。

しかし実際は、他の男たちに色目を使って嫉妬をする、というよりは、地味で自分の助けがなければ生活が難しい妻、自分の手の内だった妻が、自立して、どんどん派手になっていって、夜遊びに興奮して、羽目を外して、っていう姿が夫が見ていた妻と全然違って、好きだけど、その性格が許せない…あの時に戻って欲しいと思ってしまう、という感じでした。

 

 

「目が見えてないときのほうが良かった」と夫ジェイムズは思ってしまうので、薬に何か細工をします。おそらく。

何故おそらくか、というと、実際に目薬に何かしている決定的なシーンがないからです。

まあしてるだろう。とは言えます。

ジェイムズが目薬を手に取り、眺めては何やら思いを馳せているシーンがあります。でも眺めているだけです。そして、ジーナは目薬が原因で(と医者が断言している)、また徐々に目が見えなくなっていきます。

こういった描写から判断するに、ジェイムズが目薬に何か細工をしたと思われます。

ですが、医者が目薬に問題があったとはっきり述べてはいるものの、何か別のものが混入していることが発覚しただとか、目薬を誰かに渡したか?とかいうやりとりがありません。

つまり、ただ単に、その目薬事態に問題があっただけで、目薬に細工が施された、と断定することもできないような状況だと私は思いました。

 

ただの私の考えすぎとも言えますが。

 

この映画はあまりにも抽象的です。

登場人物が何もかも口にして、そして決定的な場面を見せる、というのが良い映画とは言えないと思います。観る側の想像力に委ねることも大事だと思うし、全てを見せてしまえばちょっとかっこ悪くもあるかもしれません。ですが、この映画は大事なところをはしょり過ぎなのでは…?と思ってしまいました。

 

展開が急すぎて、私そんなぼーっとしてたかな?と焦りました。

 

クライマックスでジーナが近所の女の子と自作の歌を歌います。コンサートで。

この歌はなかなか良いです。

ジェームズはその歌を聴いて、急にその場を飛び出し泣きながら車を暴走させます。

ジェームズは明らかに目が見えないときのほうが幸せだと感じていた、ということは見て取れ、おそらくだけど、彼女の目薬に何かしていたことを後悔したからこそ、涙を流し、車を暴走させたのだろう、と思いました。

解釈があっているのか…すみません、よく分かりません。私がアホなだけかな。

 

でも時々思うんです。

映画って、観終わった後にこうやって分析するべきものなのだろうか、と。

映画の本来の在り方とは、映像が美しかったり、音楽のセンスが良くて気分が盛り上がったり、編集が工夫されていたり、とにかく、観てかっこよかった!楽しかった!って単純に思わせてくれるものなのでは?

ネガティブな感情でも、ああ不愉快だった!これを教訓にしよう!とか、そういう単純な感想を抱くことで十分なのではないか?

とこうやって分析したり考察をしたり、あのシーンの意味は?と考えをめぐらしたりしているとついついそんなこと考えてしまいます。

 

 

 

話を戻しましょう。結局分析します。(笑)

なによりも、私はジーナが変わっていく様が悲しく、ついていけませんでした。

でも考えてみれば、青春時代の楽しみを失明により奪われ、あれだけ美人だったらハメを外したくなるし、色々なこと見てみたいし、経験したいし、あの行動は普通なのかもしれません。

ずっと抑えていた、本来の自分を解放したにすぎないのかもしれません。

ジェイムズが見ていたジーナは本当の姿じゃなかっただけなのかも。

ジーナは最終的に浮気をして妊娠してしまい、行きすぎた行動をとって、そんな自分に涙していますがね。

 

 

まさに“すれ違い”が起きてしまったわけですね。

求めるものがずれてかみ合わなくなってしまった。夫婦とはお互いに相手に期待することや求めるものが合致してこそ夫婦になるものだと思います。

だけど、夫婦になった時はジーナは目が見えなかった。ジェイムズは目が見えないジーナとは噛み合っていたけど、本来の目が見えるジーナとは噛み合っていなかった。

彼女が変わってしまったからすれ違いが起きたというよりは、もともと2人は運命の相手ではなかった、ということがジーナの目が見えたことによって発覚してしまったのだと思います。

 

まあジェイムズからしてみれば「目が見えないときのほうが良かった」って思いますよね。