そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

MOTHER マザー

朝日新聞の記事を読み、興味が湧いて観に行った。

後味の悪い映画だったが、観て良かった。

決定的なシーンであからさまに劇的な音楽を使うところはあまり好みではなかったが…。

長澤まさみの演技が非常に良かった。

欲望のままに生きて、子供を怒鳴りつけ、男を誘惑し、嫌なことがあったり思い通りにならなかったりすると顔を歪め悪態をつく。

一度も悪びれる様子を見せず、徹底して”嫌な”母親であった。まあこれは、映画的演出かもしれないが。実際のところは分からない。

とても怖かった。悪魔のようにも見えた。まるでホラー映画のようである。

前日に『カリガリ博士』という100年前のホラー映画を観た。もう著作権などないので誰でもYouTubeで見ることができるので、観たことがない方はぜひ観て欲しい。

カリガリ博士のことは具体的に書くのはやめておくが、ネタバレしない程度にいうと精神を病んでいる人の話である。

精神を病んでいる=悪だとか、ホラーだとかは思わない。ただ、怖くなるのだ。

人の心の闇を見ると、誰しもに起こりうることだと思うし、結果的に人を傷つける可能性があると思うと心が震えてくる。

どう見ても正常ではない状態の人は何をするか分からない怖さがある。でもその人にも事情があることを忘れてはいけないと思っている。

マザーも、世間と隔絶されて生きてきて、いわゆる普通に生きてきた人から見ればおかしいとも言える状態の人が、正常な考えを持つことができずに犯罪を犯してしまう。

一番怖いものはお化けでもなんでもなく、人の心かもしれない…と思う。

 

まあ、あまりホラーと結びつけるのも良くないと思うので、話を戻そうと思う。

これは一人の人間の堕落さが生んだものであり、また、どんなにひどいことをしても絶対に自分は悪くないと思っているその心が引き起こした悲劇である。だが、社会問題だとも思う。

一生懸命働いてお金を稼ぐことが正しい資本主義だからこそ起きる問題なのでは?

一度挫折した者は世間から見捨てられ、元通りになることが難しい世の中だからではないのか?

秋子(長澤まさみ)はどんなに貧しい状況に追い込まれても、絶対に働こうとしなかった。一見だらけたどうしようもない人間、とも見えるが、実はどこかで挫折しているのではないか?だから、社会復帰することを恐れているのかもしれない。ホストクラブやパチンコで金を使い果たすのは、どう見ても現実逃避にしか見えない。社会に馴染むことを諦めている。

 

他者から見ればどう見ても嫌な人間である。彼女の表面的な行動や言動だけを見ていると、なぜ働かない?なぜ子供をしっかり育てない?なぜそんなにも自分勝手でどんなに悪いことをしても心を痛めない?と思ってしまう。

でも、綺麗に正しいことだけをして生きていくことばかりが良しとされている世の中だからと言って、皆がそんなに強い人間とは限らないのである。

弱い人がいて当然で、そういった人がいることに目を向けないといけないと思うし、自分がいつそうなってもおかしくないと思う。

 

この映画を見て、正直にはっきり言うととても嫌な気持ちになった。

だが、社会が抱えている明るみになっていない問題がものすごく多くあることを感じさせられ、”知ること”の大切さを改めて感じた。

私の周りにいる人たちは恵まれ、温かい家庭で両親に育てられた人がほとんどだ。他者の家庭の内部まで見ることは不可能であるので、見えていないだけとも言えるが…。

恵まれた環境で育ってきた人たちはあの映画で起きていることをあまり問題視しないかもしれない。結局は自分と関係ないと、一歩引いて見てしまうかもしれない。

恵まれた環境で、強い心を持って順風満帆に生きてきた人が私の周りには多い。もしかすると、人間の嫌な部分や弱い部分をあまり目にしたことがなく、こんな映画を見るとびっくりしてしまうかもしれない。ただ、それが悪いことだとは決して思わないし、そう言った人々を否定する気は全くない。それは素晴らしく幸せなことだと思うから。

私はそういったところにも目を向けたくなってしまうのだ。社会の闇や人の心の弱さについても知っておきたいと思う。どうしてこうなっってしまうのか?というのを追求したくなってしまう。

 

ただ、今日すごく気をつけないといけない、と思ったことがある。恵まれない人に対し、かわいそうだとか同情をしすぎてはいけないということだ。

思いやりを持つことや、恵まれない立場に同情する優しい心も素晴らしいと思うが、時には危険な行為になり、相手によっては自分の身を滅ぼしかねないことになるのではないかと思った。

人は助け合うこともできるが、簡単に裏切ることもできる。

手助けはほどほどに、私情を挟まないことが必要だと思った。

 

人に期待しすぎれば、裏切られた時に痛い目を見る。

大人になるにつれ、心が枯れていく気がしている。人を疑いあまり信じなくなってしまった。

いや、昔から疑い深い人間ではあったが…。ただ、昔よりも期待を裏切られた時のショックの受け具合が変わってきている。

心の痛みをいちいち感じていては生きていくのに支障があるからだ。

人は心に傷を負うことを重ねていくと、そのうち心の痛みを感じないふりをする。痛いのに蓋をして痛くないふりをする。それを繰り返していくうちに、感性というものが失われるのではないかと思う時がある。

 

その反面、痛みを感じることを重ねたり、マザーのような刺激のある映画を見たりすることで、逆に感性が磨かれていくのではないか、と思う時もある。

 

まとめると、人生はどうなるか分からないから注意深く、しっかり自分の頭で考え生きていこうと思う。

 

話がすごく逸れてしまったのでこの辺にしようかな。笑