そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

ローズマリーの赤ちゃん 真実に近づくことの危うさ

この映画、すごく面白かった。

ヒッチコックの映画のようなしっかりとした構成で、撮り方も素敵だった。

来客時にドア窓から外を覗く場面が面白かった。

 

ロマン・ポランスキー監督の映画を実は初めて観た。

戦場のピアニストをずっと観たいと思い続けていまだに観ていない。夏休みに観る決心をした。

 

ローズマリーの赤ちゃんを観て、フライトプランやアンセインが思い浮かんだ。主張が通らなくなり、理不尽な目に遭っている主人公を始めは信じ、応援しようという気になる。だが、周囲の人間があまりにも嘘を貫き通すので、主人公のことを信じきれなくなってくる。

もしかして、本当に主人公の妄想なのかもしれない・・・。この人を信じ続けていいのだろうか?という気持ちになってくる。

 

 

嘘を真実かのように扱われ、変な気持ちというか嫌な気持ちにさせられることは現実世界にもあると思う。

例えば、恋人や子供がなにか隠したくなるようなことをしでかしてしまったとする。明らかにそれをしてしまったことは確かなのに、問い詰めると「やっていない」と言う。何度聞いても「絶対にやっていない」と言われると、気が変になりそうになる。

明らかにそれをしでかしたことは真実なのに、何度問うても認めようとしない。その心が本当にわからなくなる時がある。

周りに言いくるめられ、誰も信用できなくなる。その時のいらいらする気持ち、自分は真実を語っているはずなのにそれが通らない現実に打ちのめされ、まさに"気が変に"なってくる。

 

また、ローズマリーの赤ちゃんは女性がちょっとしたヒステリーを起こしたり感情的になったりした時に、周囲から「頭がおかしい」というレッテルを貼られ、精神病だなどと追い詰められることを描いてもいると思う。

チェンジリング」ではアンジェリーナ・ジョリーが息子が本当の息子ではないのに、その真実を訴えても誰も信じてくれないどころか、頭がおかしいとされ病院に閉じ込められ酷い仕打ちを受けていた。

歴史的に女性に対してそういった扱いをしてきた過去があったのかもしれないと思うことがある。いや、実際のところは男女問わずかもしれないが、過去に女性差別があった事実を思うと、ありそうなことだと思う。女性に男性と同等の権利がなかった時代は、女性の発言を軽視されていたかもしれない。

 

自分の主張が、しかも真実を語っているのにそれが通らないとはどういう気持ちか、想像するととても辛い。ローズマリーの立場に立ち、非常に恐ろしい気持ちになった。あれでは誰も信用できなくなり、自分の近くにいる全く関係のない人までグルに見えてくるのは当然のことである。

ただ、ローズマリーの赤ちゃんでは、本当にローズマリーが被害に遭っているのか、それともローズマリーの妄想なのか実際のところ曖昧になっている。

監督もそのようにインタビューで話していたので、曖昧になるよう作られているのは確かだ。

その曖昧さが非常に面白い。ただ、妄想落ちにしてしまうと多少の女性批判がある気がしてしまうので妄想でない方が良いのかもしれない。

 

ローズマリーの赤ちゃんフライトプランチェンジリング、アンセインでは主人公に味方がいなくなっても彼女たちは真実に近づくことを諦めない。だから、だんだんと信用できなくなってきても主人公のことを応援したい気持ちは変わらない。ただ、真実に近づけば近づくほど危険な目に合うことも事実である。病院に入れられたり、殺されそうになったり。それならば嘘を本当と認めてしまった方が自分の身のためである。

それでも彼女たちは真実に近づくことを諦めない。どんな仕打ちにも立ち向かっていくことはかっこよいと思う。

アンセインは若干系統が異なるが、フライトプランチェンジリングローズマリーの赤ちゃんと同様、母親が主人公だ。

子を守るためにはどんなことにも耐え、危険に身をさらす。それが母親なのか、と思わせられた。