そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

彼らは生きていた They shall not grow old

公開からだいぶ経ってしまいましたが、ようやく見ました。

非常に良かったです。

 

何より驚いたのが、100年以上前の映像をあそこまでなめらかなカラーの映像へと蘇らせてしまった技術力の高さです。

昔の戦争ドキュメンタリーは大抵動きがカクカクしていて、白黒で、画質が荒く人の表情なんてほぼ見えないようなものですが、「彼らは生きていた」ではまさに生き生きとした映像を見ることができます。

修復も素晴らしいけど、当時戦地で爆撃に見舞われながら映像を撮り残した者も偉大だと思いました。

こうやって残酷極まりない出来事を後世まで伝える手段を残してくれているのはとてもありがたいことだと思います。

 

カメラを向けられたもの達はみんな笑顔なんですよね。それが恐ろしい。

これから死にに行くかもしれないのに、楽観的でいる、というよりその場には戦争という悲惨な出来事に対して現実味がない感じが漂っていました。

そこが恐ろしいです。戦争とは何なのかということを、死にに行き傷ついて帰ってくるまで理解できないのだな、と思いました。

 

戦争映画を見るたびに、「戦争には何の意味もなかった」「戦争は罪である」と感じ、虚しさを覚えます。

戦いたかった人なんてほとんどいなかったはず、人を傷つけ殺したい人なんてそうそういるわけがないはずだったのに起きてしまったことがただただ悲しいです。

 

 

映像が鮮明になったおかげでよりリアリティが増し、「本当に起きていたことなんだ」という実感が強く湧きました。

顔が吹き飛んだ人や足が変な方向に曲がった人など死体がそのまま映されていているのでとても残酷でした。でもこれが実際に起きていたことで、軽い気持ちで戦地に向かった若者達はあんな死に方をしたのです。

それを知ることだけでもとても大事だと思います。

もう起きてしまった過去を変えることはできないから、こんなことがあった、という事実を受け止め、感じることだけでも大切だなと戦争映画を見るたびに思います。

 

戦争映画を見ているとどうしても主人公側の視点で見てしましい、相手側のストーリーや苦悩を感じにくくなってしまうのがいつも心苦しいです。

どの国の兵士だって戦いたくなかったし、泣き叫びながら、苦しみながら続くはずの人生を残して死んでいってしまったのです。

だからいつも戦争映画をみると主人公の敵側の視点も描いて欲しい、と思います。

 

 

戦争について考えると、ああ答えが出ないなと思います。

映像は100年前だとか最近のものしかないけど、人間は昔から戦ってきて殺しあってきてるんですよね。ようやく「戦争反対」思考が芽生えてきたわけですが、最近の戦争以前から残酷なことを繰り返していましたよね。

第一次、第二次世界大戦だけが悪ではなくて、もっと昔から殺し合いは続いていて、今でもテロや紛争が絶え間なく続いていて、人間とは何なのだ?と思ってしまいます・・・。

考え出すときりがないので、受け止めようと心がけますが、いつも辛くなります。

人の欲望や身勝手さを思うととても生きづらくなります。

でも人の行いや心を映画として描く人たちがいてくれると思うと救われるような気持ちになります。

ちゃんと考えている人がいる、とありがたい気持ちになります。

だから映画を見ることをやめられない、と感じました。この先も見ていこうと思います。

 

 

フォードvsフェラーリ Ford v Ferrari

2019年

監督:ジェームズ・マンゴールド

脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、ジェイソン・ケラー

出演:クリスチャン・ベイル、マッド・デイモン、

153分

 

今年ベスト!(まだ3本目)素晴らしい映画だった。年明けてすぐにこんなにも良い映画に出会えるとは幸せだ。

無駄がそぎ落とされた脚本、編集。作り手の腕の良さを感じた。

俳優の演技も見ものだ。マッド・デイモンはいつ見てもマッド・デイモンらしく、頼れる男感が溢れいい味を出していた。そして、クリスチャン・ベイルは流石だ・・・。

 

ストーリー展開が早く、車の知識がない私は前半置いていかれ気味になった。車に詳しければ更に楽しめたと思うと、勉強不足であったことを悔やむ。

カーアクションものとしても素晴らしい。カメラワークは大迫力、音も凄まじい。見ているだけでアドレナリンが出るし、思わず手汗をかいてしまうほどの緊張感がある。スタントの技術に感動した。

 

男の友情ものとしても良い。キャロル・シェイビーとケン・マイルズという、実際にレースを経験した者達にしか分かり得ないものが二人には見えている。二人の友情、絆に感動する映画としても高く評価できる。

ティーン・スピリット Teen Spirit

2018年公開(米)

監督・脚本:マックス・ミンゲラ(デビュー作)

出演:エル・ファニング、ズラッコ・ブリッチ

音楽:マリウス・デ・ヴリーズ

92分

 

この映画は予告を見た記憶がなかったのだが、ネットで見かけて気になったので見に行ってみた。

思っていたよりも面白かったし、最後は少しうるっときてしまった。

エル・ファニングは見るたびに成長していて、ますます素敵になっている。最近はすっかり大人っぽくなり美しさを増しているが、笑った時のあどけなさは相変わらずで癒される。

彼女は人とはちょっと違う女の子の役がよく似合う。

 

それでは、以下はネタバレを含みつつ感想を書き連ねよう。

 

田舎に暮らす少女は、あまり人に心を開かず、いつも無表情で普通の10代の女の子にしては珍しい。彼女の表情からは普通の女の子とは違う様が感じられ、明らかに心に何かを抱えているようであった。私はこういった主人公が何か鬱屈とした思いを抱えている系の作品が好きである。ここでこの映画への期待が高まった。

正直この映画は、予告を見ていなかったということもあり、もっとポップなミュージカル系のものだと勝手に思ってしまっていたので、むしろこういった人の心の闇を描いている系のものだと知って喜びが増した。

 

彼女は母子家庭で育っている。幼い頃に母親が浮気をしていて、両親は離婚、父親が突然いなくなってしまったトラウマを抱えている。

そのことが原因で、母親に対して心を閉ざしがちである。彼女は母親とは心の距離を置いている。貧しさが二人の関係をよりぎすぎすさせているが、二人の間には確かに親子の絆はあることは感じられる。

 

簡単に言うと、この作品はガリーボーイ(2019年/インド)をものすごくテンポ良くしたものだ。

あとは、エイトマイルにも似ているだろう。

ガリーボーイやエイトマイルでも描かれているが、貧しかったり恵まれない環境にいたりする人々が想いを吐き出す方法はいつの時代、どの国にでも音楽なのだな、と思う。

 

ティーンスピリットはカットが短めで、ストーリー展開もかなりテンポが良い。最近の若い監督のデビュー作で、ホット・サマー・ナイツ(2018年/アメリカ)があったが、その映画もなかなか見ない撮影方法であったことを思い出した。若い監督のデビュー作となると今まであまりみたことのないカメラ遣いなどを見られて面白い。

 

ほぼ長回しはないのだが、エル・ファニングが大会の決勝戦のステージに向かうシーンだけは長回しである。ここはなかなか面白いと思った。ここぞと言う時に長回しを使うのは、少しあからさまな感じもしなくはないが、なかなか良いのではないかと思う。

最終決戦のステージへ向かう時の心境というと、緊張、不安、勝ちたいという思いなどいろいろな思いを巡らしているはずだ。見ている側は、この主人公ヴァイオレット(エル・ファニング)は何を考えているか、その長回しの間に想像をする。

見ている側も一緒にステージへ向かう気分だ。後ろ姿ではなく正面から撮ることで表情を見られる。長回しは役者の演技の腕が見られるのではないか。エル・ファニングの絶妙な表情が良かった。

 

エル・ファニングの歌唱力は、思っていたよりも良かった。アリー/スター誕生(2018年/アメリカ)を見た時にレディー・ガガの圧倒的な歌唱力には鳥肌が止まらなかったが、もちろんそういった感じではない。高い音があまり出ないので、いかにも歌が上手い!圧倒される!という感じはなかった。そこはやはり女優であり歌手ではないのでびっくりするような上手さではないことは不思議ではない。

彼女は声が独特、つまり素敵な声を持っており、少し暗めの曲がよく似合う。伸びのあるハイトーンが出ることだけが歌のうまさを測るものではないと私は思う。彼女の歌い方はなかなか味わい深かった。

 

両親が離婚してしまって、父親が突然いなくなったことにトラウマを抱えている感じも描かれている。マネージャーとして協力してもらった、ヴラッド(ズラッコ・ブリッチ)が姿を消した時に不安げで気がかりである様子が感じられ、彼女にとって父親がいなくなったことが人生にどれほどの影響を及ぼしているのかということが見て取れる。

 

この映画を見てやはり音楽は素晴らしいと思う。

ヴァイオレット(エル・ファニング)が一人自分の部屋でiPodで音楽を聴きながら踊っているシーンが印象的だが、人は皆ああやってストレスを解消したり、自分だけの世界に浸ったりして喜びを感じるものだ。

あのシーンは印象的に描かれていて、人間にとって音楽の存在の必要性を改めて感じさせる。

 

画もなかなか良かった。自然の風景が美しく描かれていて素晴らしい。

 

ガール Girl

トランスジェンダーバレリーナの話です。

 

ショッキングなシーンに気を取られ、この映画の表現の細やかさに心動かされたことを忘れてしまいそうになりました。

なかなか生々しく、衝撃的なシーンに打ちのめされてしまいました。

男性の象徴を自らの手で切り落としてしまいます。

序盤に、ピアスの穴を自分で開けるシーンがあるのですが、主人公ララは氷をちょっと当てて、たったそれだけで耳に強引に穴を開けてしまいます。その初めのシーンを見ているからこそ、あの場面で氷が登場した瞬間、まさか、この子は・・・!ということになるのです。

 

あらゆる場面で、彼女が身体的な痛みに対して鈍感というか、自分を痛めつけることを躊躇わずに繰り返し行なっていることが描かれています。

バレエの練習でも、足がとんでもなく悲惨なことになっているのに踊り続けたり、テープを局部に貼り付け皮膚をボロボロにしたり、ピアスも強引にあけたり・・・。

 

彼女は、身体的にも精神的にも、痛みに耐えすぎているように見受けられました。

悩みは誰に対しても口にしない。彼女は常に一人で、孤独に生き、どうにもならない苦痛に耐え忍んできたのだと思います。

だって、自分の気持ちなんて話したところで真に理解してもらえることなんてないのだから・・・。彼女が頑なに心と体の痛みに耐え、周りに心を開かず、思っていることを口にしないでいる姿を見ていると、医療という科学的な力によって女の子に近づくことは出来て、そこに希望を感じてはいても、真に女の子になることは出来ないということを悟り、心の奥底で諦めているようにも感じられました。

 

男性の象徴を切り落とした後、一命をとりとめた彼女は自分の姿を鏡ごしに見ますが、その姿はぼやけていました。

たとえ男であることを示すものがなくなったとしても、真に、100%女の子ではないのです。

心も見た目も女の子なのに・・・

一生、満たされない気持ちを抱え生きていくしかない、そういったマイノリティの方々の孤独感を想像すると、非常に辛いものがある。

寄り添うことは出来ても、普通である私たちには真に彼らの気持ちを理解することは出来ない、そういうもどかしさにも打ちのめされました。

 

カメラワークもほぼ主人公ララのアップで、周りの様子がほとんど見えないように撮られていました。

まるで、ララは世界から隔絶されているかのように。

 

 

アンダー・ザ・シルバーレイクにおけるホームレスの位置付け

前に書いたアンダー・ザ・シルバーレイクの感想文でもホームレスと犬の関係について少し触れましたが、改めてしっかり考察しようと思います。

 

前回書いたものには、

 犬=ホームレス

というような考察をしましたが、なぜそうなのか?というところを詰めていきましょう。

 

 

アンダー・ザ・シルバーレイクの世界では、主人公サム(アンドリュー・ガーフィールド)の冒険と並行して、「犬殺し」というものが問題となっています。

 

殺された犬の描写や、「犬殺し」の文字がところどころ映し出されていましたよね。

 

「悪夢版ラ・ラ・ランド」とも称されていたこの映画。

あの魅惑の街“ハリウッド”には、主人公サムやアンダー・ザ・シルバーレイクの監督(デヴィッド・ロバート・ミッチェル)、ラ・ラ・ランドの監督(デミアン・チャゼル)のように夢を持って、成功してやるぞという野心を持ってやってくる人が多くいます。

 

だけど、その一方で、あの映画の中でも印象的に映されていたように、ホームレスも多くいるという現実がある。

どういう経緯かは分からないが、夢を抱いてやってきたにも関わらず、いつまでも花を咲かせることができないままでいた。それでもハリウッドという街から離れられず、いつまでもしがみついた結果、ホームレスになってしまった人もいるかと思われます。

 

 

あの映画は、いかにも犬とホームレスを結びつけずにはいられないと思わせるシーンがいくつかあります。

 

・犬がゴミを漁る姿 ホームレスもゴミを漁ることがある

・ホームレスの鼻が効きすぎているところ(ホームレスの王がサムに対し、君は良く匂うから、といって居場所を突き止める)

・ホームレスがコヨーテは神聖な生き物といって崇めていた

・ホームレスがサムを捕え、犬殺しはお前か?と詰め、違うと分かると解放していた

 

 これだけ犬=ホームレスと思わせるような描写がある中、「犬殺し」が問題となっている。

 

つまり、ハリウッドという街は夢を抱いてやってきた人々をホームレスという犬へと変貌させ、その街でいつまでも夢を叶えられないまま朽ちていく様をまさに「犬殺し」と表現しているのである。

 

ハリウッドは夢や富や名声に溢れ、魅惑的である一方、夢破れた人々を「殺し」てしまう街でもある、ということを言いたいのである。と思う。

 

 

主人公サムに関しては、途中女の子と手繋ぎながら歩いている中、ホームレスに罵倒され、あんなやつらは最悪だねみたいなことを言っていました。ですが、自分も夢を叶えられないままハリウッドにいつまでもしがみつき、家賃も滞納してるし、まさに「ホームレスという名の犬」へと片足を突っ込んでいる状態なのである。

 

だから、サムからしたら自分もそういう存在に近づいてるけど、そうなるなんてごめんだと目を逸らしたくなる存在なんでしょうね。

だからムキになって嫌いだと罵ったのでしょう。

 

 

「夢追い人」って聞こえはいいし、ラ・ラ・ランドなんか観ちゃうと、ミアやセバスチャンは、自分たちの夢を叶え、成功していて、ハリウッドって、夢を追うってなんかいいなとか素敵とか少し思ってしまいますよね。

でも現実に目を向けると、サムのようにいくらハリウッドにいても何も成し得ることができないままでいて、路頭に迷いそうになっている人もたくさんいるということです。

 

 

だから、あの映画は「悪夢版ラ・ラ・ランド」だ!って言われていたんでしょうね。

 

 

こういったちょっとネガティブというか、現実を突きつけられ辛くなる側面も持ったあの映画は、やっぱり魅力的です。

早くDVD発売されて欲しいですね。

何度でも見たいと思える素晴らしい映画だと思います。

 

またサムと一緒に冒険や謎解きの楽しさ、ワクワク、ハラハラする気持ちを体感したいものです。

 

 

メアリーの総て Mary Shelley

監督:ハイファ・アル=マンスール(女性、サウジアラビア出身)

主演:エル・ファニングマレフィセントネオン・デーモン

 

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フランケンシュタインの作者、メアリー・シェリーがフランケンシュタインを生み出すまでの物語。

 

非常にいい作品でした。

映像や音も綺麗だし、ファッションも素敵でした。

何より、エル・ファニングが上手い!

 

彼女を初めて見かけたのは、2014年の『マレフィセント』でした。ちょろちょろ映画出てるな、とは思っていましたが、少し前の『ネオン・デーモン』で注目度が上がったんじゃないかな?と認識しています。

 

絵に描いたような綺麗なブロンドと透き通るような白い肌を持った女優ですが、ネオン・デーモンではなかなか特別感溢れる雰囲気を醸し出していましたね。

 

ちょっと影のある性格を持った女の子の役が静かな声と合うんですよね。それでいてかつ、白くてエルフみたいで存在が際立つので、「美人だけど変わった子」みたいな役柄が合うなと個人的に思います。

 

 

それはさておき、今回の『メアリーの総て』では、演技の細やかさが増していて、とても「上手い」と思わせられました。

3歳から演技をしているので今20歳にも関わらずキャリアが長いですが、着実にスターへの道を歩んでいますね。今後またどんな演技を見せてくれるのか楽しみです。

 

 

 

この『メアリーの総て』は、かの有名なフランケンシュタインの作者、メアリー・シェリーがその作品をいかにして生み出したか、ということが描かれています。

 

恥ずかしながら、私はフランケンシュタインを読んだことがありませんでした。

なので映画終わって速攻文庫を買い、読んでいるところです…。(笑)

 

 

 

この映画の何が良かったか。

それは、“特に”女性が勇気や力をもらえるという点だと思います。

 

今の時代、女性軽視についてかなり厳しくなっていますよね。

女性を見下すようなことがあれば、それは徹底的に非難されたり、女性が男性よりも家庭的負担が大きいことが未だ問題視されていたり…

 

そんな中で、女性が社会の常識(女が男と同じように活躍することはあり得ないみたいな世の中)の中で奮闘し、自分(主人公)つまり女性の立場を確立していく、みたいな題材の映画が増えているな〜と思います。

 

同じ女としては、過去に素晴らしい能力があったにも関わらず、“社会の常識”という名の害悪に潰されてしまった人たちが多くいたという事実を知ることはとても必要なことだと思います。そして、今にも名を残している女性がどのように戦い、どうやって立場を確立していったのか、というエピソードはとても勉強になります。このようなテーマの映画が増え、目にすることが出来るというのは、非常にありがたいことだと思っています。

 

『天才作家の妻』という映画がもうすぐ公開ですが、この映画も「女が小説を書くなんて、自分の思想を本にするなんて、あり得ない!」みたいな常識に潰された女性の話ですよね?(確か)

 

 

このようなことが事実だったと思うととても悲しいし恐ろしいですよね。

私が生きる今の時代でも男女平等について問題があるとは言っても、過去に戦ってきた女性の話を耳にするととても恵まれた時代に生まれたな、と思うわけです。

 

 

 

 

この『メアリーの総て』で、メアリーはフランケンシュタインという“怪作”を生み出すわけですが、初めは「あなたは女性だから出版できない」って言われるんですよ。“女性だから”っていう物凄い偏見による信じられない差別的発言がなされるわけです。

 

女がこんなもの書けるわけない、とか言う訳です。昔は女性に人権があったとは言えないような時代もあったと、なんとなく知ってはいるものの、そんな直接的でなんの根拠もない発言により、いとも簡単に押しつぶされていたのか、と思うとやはり衝撃でした。

 

出版社に女性という理由だけでことごとく断られてきた中、メアリーはようやく出版してくれるところと巡り会えました。しかし、著者を明かさず、かつ旦那の紹介文(?だったか忘れましたが…)を載せればという条件の中で。

そこで、映画を見ている誰もがもやもやし、悔しいな〜って思っている中、エル・ファニング演じるメアリーが、あり得ない女性差別に対する悔しさを旦那に向かって叫ぶんですよ。

「あなたにこの悔しさが分かるのか?!」ってね。

よく言った!と心の中で拍手ですよ。

 

映画では、メアリーの旦那はろくでなしとして描かれていましたが、性根は腐っていなかったのだな、と最後に思わせられました。

というのも、そのメアリーの言葉に胸を打たれたのか、この素晴らしい作品を産んだのは、我が妻メアリーだと世に公表する訳です。

 

だからこそ、今を生きる私たちにも、フランケンシュタインの作者はメアリー・シェリーという女性で、彼女が18歳の時に描いた作品なんだ、ということが分かるのです。

 

彼女が悔しさを包み隠さず、思いをぶちまけ、そして戦ったからこそ、あり得ない女性差別がまかり通っていた時代に生きていたにも関わらず、私たちは正しい作者を知ることが出来るのです。

 

 

“戦う”というのは具体的にどういうことかというと、「行動し続ける」ということです。

メアリーはまず、小説を書いてみた。

そして、どんなに跳ね除けられても出版するというところに巡り会えるまで、出版社に持ち込み続けた。

自分の名前が載せられないことに対する悔しさ、本音を包み隠さずぶちまけた。

 

ただ心の中で悔しい、と思っていたり、あれしてみたいけどやってみたいなと考えたりしているだけでは何も変わらないんです。

こうしてみたい、とか現状を変えたい、夢を叶えたいなど思うことがあるのであれば、「行動し続ける」ことが大切なんだなと、強く感じさせられる映画でした。

 

“特に”女性が力をもらえる映画です。

もちろん、男性だって勇気をもらえる映画です。

 

 

ぜひ見てみてください。まだまだ上映していますよ〜。

 

トラウマ映画 もう2度と観たくない

今でも思い出すと動揺してしまうような映画があります。

色々見てきましたけど、2つですかね。

 

 

観てないけど

  • ジョニーは戦場へ行った

 

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク 

ダンサー・イン・ザ・ダークに関してはトラウマレベルではないかもしれません。

ただ、ショッキング映画の中でもかなり上位にくるな、と思いました。

 

あの映画は、目がとても悪くて最終的に見えなくなってしまう女性の話です。

目が見えない人が主人公だからか、映像はずっと茶色っぽくくすんでいます。

 

ダンサー・イン・ザ・ダークというからには「ダンス」の要素がほとんどの映画なのかな?とか思っていました。

 

映画の説明のところに、

ついに目が見えなくなってしまったセルマ(主人公)の唯一の心の癒しは空想の中でミュージカルに合わせ踊ることだった

みたいなことが書かれていたんですよね。

書かれていたのはそれくらいだったから、

あぁ、だから絶望的なことの中に光を見出していく感じの映画なのかなぁ?って思って観たんですよ。そしたらやられましたよ…。落ち込みました。(笑)

 

私は基本的に映画の情報はほぼ入れずに観るようにしています。偏見がないように。

あとは初めて目にすることの楽しさを感じたいから。

だから、こんなショッキング映画とは思いもせず軽い気持ちで観たから、心の準備が出来てなくてショックだしびっくりでした。

 

 

この映画、クライマックスで超絶泣きました。

なんて不運でなんて報われなくて、なんて恐ろしい結末だろうか。

 

寝る前に観たんですが、次の日朝起きたときも、どうして彼女はあんな目に合わなきゃいけなかったのかな…って考えちゃいました。

 

衝撃の終わり方です。

 

 

この映画、ミュージカル的シーンになると、カメラワークが独特です。

監視カメラの視点切り替えみたいな。

カメラを動かさず、あらゆる角度から映し、それを切り替えていくという手法。

それもまた変な気持ちにさせられます…。

 

トラウマとは言い切れないけど、もう観たくないかな。(笑)

 

 

 

監督失格 

監督失格はすさまじいです。出来れば観ないほうがいい…。

でもでも、一生のうちには一度でいいから見て欲しい…。っていう映画です。

セクシー女優とその監督のドキュメンタリーです。

 

 

私この映画観たとき精神状態が変なことになりました。

 

最後に起きた出来事が異様なことすぎて、画面の中の人たちがすごく慌てていても自分は理解が追いついていないような感じでした。

見終わった直後は、さっき見たものはなんだったんだ…というような、ぼんやりとした気持ちでいて、心が置いてけぼりみたいになってました。

 

でも少し経つと、急に涙が溢れて恐怖心が襲ってきました。

あの映画を観たら、ほとんどの人は自分の立場と重ねてしまうのではないかな。

自分の家族にもし同じことが起き、あの立場だったらどうなるのか?

あの状況に直面するとは一体どういう気持ちにさせられるのだろうか。

ドキュメンタリーだから、作り物ではなく“本物”であるというところがとても恐ろしかったです。

 

ネタバレになるからあまり言えないですが、セクシー女優のお母さんの反応を見たときは言葉を失いました。

ただただその場面を無心で見つめる自分がいました。

 

もう2度と観たくないし観られないと思います。

あんな気持ちにさせられるとはつゆも知らず、なんでこんな映画観たんだ(涙)って感じでした。。

 

 

 

ジョニーは戦場へ行った

この映画、かなり有名(だと思う)からトラウマ、鬱映画として知ってる人多いと思います。

 

実は観たことないです…。観たことないのにトラウマってどういうことだ。(笑)

 

何年も前からこの映画の存在は知っていて、どんな話かも知っていて、町山智浩さんの解説も聞いています。

 

それだけで、あ、これはまだ観れない…っと思って未だに手をつけてません。

 

 

解説を聞いただけで夜眠れなくなりました。

あまりにも恐ろしく残酷で酷い…。結末は知らないから、ジョニーはどうなったのって気になります。

だけど解説だけで眠れなくなっちゃう映画は観たらだめだなと思ってストップかけてます。

 

 

有名だから書きますけど、戦争へ行ったジョニーは両手足、顔(目、鼻、口、耳)を失います。

病院でなんとか命を繋がれている状態です。

何も見えないし何も聞こえないし、自分がどこにいるかも分からない。

でも、皮膚の感覚と考える力だけ残っている。

 

そんな状況に置かれたら人はどうなるのか…。

そして、戦争とはなんて酷くて悲しいものなのか。と観てないけど思わせられました。

 

 

私はまだ観れません。いつかは観ようと思ってるんですけどね。

 

 

みなさんはこれらの映画観ましたか?

 

人によって感じ方が違うので、こんなのトラウマじゃないよって思う人もいるかもしれません。

他の人のトラウマ映画も知りたいなぁ〜。