そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

風の谷のナウシカ

冒頭、雪が舞っているのかな?と思ったものは、そうだ、腐海に漂う胞子だ。大きなスクリーンで見ると、トゲがあることを見て取れる。雪の結晶なのかな?とつい思ってしまい、美しいと感じた。

オープニングクレジットで聞き馴染みのある音楽と共に、エジプト文明か何かでありそうな壁画のようなものが映像で流れる。この時に思った。これは、神話的な物語であると。

この映画は、1984年の映画だ。35年以上も前の映画である。それなのに、一つも色褪せることなく、魅力的な映像・音楽であった。

 

最後に見たのがいつか思い出せなかった。テレビでよく放映しているので、もしかすると何度か見ているのかもしれないが、正直記憶にない。恐らくだが、幼稚園生か小学低学年の時に、祖父の家で見た記憶しか残っていないので、ちゃんと見たのはそれが最後だと思う。20年近く前だ。

漫画版を読んだのは大学生の時。ただ、数年前に読んだとはいえ、漫画版と映画版はかなり異なっているため、やはり映画版の記憶を完璧に呼び戻すことには至らない。漫画版は驚くほど壮大で、実はナウシカが生きる世界は何かに仕組まれていたような・・・という曖昧な記憶しかない。

また、私はジブリに対して苦手意識を持っていた。ジブリの名作とされているナウシカや、もののけ姫は小さい頃の私には刺激が強く、すごく「怖くて不気味なもの」という記憶がこびりついていた。意外と手や頭が吹っ飛ぶような描写もあったため、それが脳裏にこびりついている。そのため宮崎駿の世界観に苦手意識があり、映画の勉強を始めてからもあまりジブリには触れないでいた。

 

そんな風にジブリを避けてきて、ほとんど全てを忘れきった状態で見たので、新たな気持ちで見ることができた。

とても感動し、涙を流してしまった。いや、感動というより、あまりにもナウシカの心が清く美しく、自分の心が荒んでいるような気持ちにさせられてしまい、圧倒されてしまったのだ。

ナウシカはあまりにも理想的すぎる。清く美しい心を持ち、強くてリーダーシップがあり、母性も兼ね備えた博愛主義者。誰もがナウシカを愛し、魅力を感じてついていこうとする。そんな存在だ。そんな人は現実にはいない。完全な理想像である。

ナウシカの存在というのは現実離れして、だからこそ神話的なお話ということを思わせられる。

宮崎駿は神話にも精通しているのだろうと思った。神話や人類の歴史を元にしていることは明らかである。その知識の中に、自分の作り出した世界観を盛り込んで壮大な物語を作っている。才能を感じざるを得ない。

 

なにゆえジブリ作品がここまで神聖化されて、どんな世代にも興味関心を持たせ続けているのか、その理由を本日理解したような気がした。

 

あまりにも完璧な、パーフェクトガールが自然や生き物を傷つけることをものすごく嫌がり、避けようとする姿を見ていると、なんだか申し訳なくなってくる。

戦争を重ね、自然を破壊して文明を築いてきた人間である私たち。自然を愛して争いは悪であるとはっきりと口にする者の声は少し耳に痛い。

人類はみな、自然や生き物を滅ぼしてきた罪の意識がどこか心の奥底にあるかもしれない。だから、宮崎駿の作品、特にナウシカもののけ姫は我々の心の奥底に潜む罪の意識のような何か感覚的な意識をえぐり出すものなのかもしれない。

小さい頃に感じた”怖さ”というのは、もしかしたらこれなのかもしれない。人間がしてきたことに自然や生き物が怒っているのを見せてくる。ナウシカのような”善き人”がいる中で、自然や生き物などの(人間からすると)無垢な存在を利用している”悪い人”の行いが目に付く。人間の身勝手さと、それに反抗し怒りをあらわにしている自然・生き物、その姿に幼いながら恐れおののいたのか。

 

風の谷でナウシカが姫として扱われていることや、トルメキアの軍隊が侵攻してきところを見て、人類がいかにして社会構造を築き上げてきたか、ということを見て取れる。

人はコミュニティを作って、その中で力あるものを神かのように崇めついていき、そうして文明を築いた。このようなコミュニティの形成は人類が石器時代よりも前から行ってきたことだ。

自分たちが安心できるコミュニティの中に、新たなコミュニティが侵攻してくることを恐れる。なぜなら、築き上げてきた社会構造が壊されてしまう可能性があるからだ。

コミュニティを作るということは、保守的なことだ。安心感がある。その安心を脅かされることを人は恐れる。だから、戦争が起きたのだろう。

現代は世界がネットワークで繋がり、一体化されているようだ。

それでも、多くのコミュニティなるものが今でもぶつかり合っている。

人類が”自分と異なる者”を排除しようとしてきた歴史を見ると、いまだにそれが根付いたままであり、人間は古代から変わらないのだな〜と思う。でも、これはある意味本能的な動物的な行為なのかもしれない。生き永らえ種族を存続させるには仕方のないことなのだ。

 

少し前にゾンビという映画を見た。

あれも、ゾンビという「新人類」なるものに恐れおののいた人間たちが、生き延びようとしてゾンビの殺戮に走る。一方で必要以上に殺さずうまく共存しようとする者たちもいるが、排除する意識に変わりはない。

 

映画を見ていると、人間の本質などに迫っているものがたくさんあり、考えさせられることが多い。人間の本質や歴史を踏まえながらも、ナウシカのような娯楽的な、多くの人が楽しむことのできる作品を作れることは本当にすごいことだと感じる。

ナウシカの漫画版を思い出そうと、あらすじを語っている人の動画を見て内容を思い出した。これは、ロード・オブ・ザ・リング的な壮大さを持っている。いや、ロード・オブ・ザ・リングの方がもっと壮大なのかもしれないが・・・。こんな物語を作れる人の頭の中はどうなっているのだ?神話を作った者もそうだ。創造性と知識を兼ね備えている。これはとてもすごいことである。