そら飛ぶ映画好きのひとりごと。

感想は抽象的であり、単なる感想に過ぎません。

透明人間 Invisible man

この映画は、まあまあでした。

初めは結構ドキドキしたし、主人公が孤立していく感じは面白かった。

だけど、細かいところの詰めが甘いのではないか?と思った。(私の感想も詰め甘いですけどね・・・)

主人公の周りの人間が、主人公に対して信頼を失う時あまりにも唐突すぎて違和感を感じたり、そこでそんな行動とるかね?と思ってしまったり・・・細かいこと気にしすぎるのもよくないか。

あとは、音楽の音が大きすぎる・・・。正直耳が疲れてしまったし、使う音楽があからさまである。

そんなに音楽で盛り上げなくても、鑑賞している人は気持ちが盛り上がると思う。

そんなに激しく音楽使わなくてもいいじゃん!って思ってしまった。

エンドクレジットがだいぶうるさかったな・・・。あまり文句言うのはやめよう。人が一生懸命作ったものだから。

 

この映画を見て思い出した映画がある。それはスティーブン・ソダーバーグの『アンセイン』だ。Unsaneというタイトルである。これはInsaneという「狂気」という意味を持った言葉を少し変えた造語である。確か、この映画を見た時に映画の説明が載っていた冊子か何かを読んで、Unsaneに込められた意味みたいなものを読んだような気がする・・・。2年前なので思い出せない。

私はこの映画を飛行機内で見た。シンガポールからの便乗で帰ってきた時だ。

非常に印象に残っていて、というのも変わった映画だったからだ。

これは撮影・編集すべてiPhoneで行っているという。

iPhoneなので、素早いカメラの動きに対応できないからか、静止している画が多く、あまり画面の動きがなかった。ほとんどが固定の視点である。だから不思議な感じがしたのだ。

ダンサー・イン・ザ・ダークでも、主人公の女性が妄想の中でダンスをする時、固定視点の切り替えが使われていた。だから、固定視点を切り替えていくと言うやり方は、私にとって非常に不気味なものである。

これは、監視カメラの切り替えみたいだなといつも思う。

監視カメラ室には固定カメラの映像がたくさんあると思うが、そんな感じである。それを警備員か誰かが自分の見ておきたい映像に切り替えたりする。そんな感じだ。

だから、固定視点は「誰かに見られている感」があって怖い。

 

カメラの話はこのくらいにして、 

アンセインでも、今回見た透明人間でも、同じテーマが描かれている。

ストーカーされた、もしくはストーカー並に束縛されたり支配されたりした女性が精神を病んで、そのストーカー男に追い詰められて、自分が主張していることを誰も信じてくれなくなって、孤立して、実は自分の頭がおかしいんじゃないか?となっていく話である。

アンセインでは何が正しくて、何がおかしいか?もしやすると、映画を見ている私たちが今感じていることは間違っているかもしれない?主人公が正しいと思っていたのに、もしかするとこの人がおかしいのではないか?という思考をさせられ不思議な感覚にさせてくれた。

ただ、今回の透明人間では、確実に主人公が正しいので、ひょっとすると自分が信じていたものが覆されるかも、と言う感覚は味わえなかった。

透明人間の存在が確実だったからだ。

だからこの映画は人の精神の不安定さを描いているのではなく、アクションであった。

透明人間 vs. 人間であった。

 

ただ、透明人間のラストは少し含みを持たせていたと思う。

あれ、ひょっとすると・・?と思わせられた。

100年前のホラー映画の祖と言われている、『カリガリ博士』でも最後にあれ?ほんとはどっち?と思わせるような、ラストに含みを持たせていた。

そういうものはホラー映画的でいいと思う。

映画を見ていると、何か確信的な考えに落ち着いて見終わりたくなる。これは無意識にである。だが、ラストにあれ?実はこうなの?ということをされると、もやもやしてしまう。そうやって、観ているものを惑わすこともいいのではないか。

だから、透明人間のそれも悪くはないとは思った。

そんな感じである。